心理学のお勉強

知覚心理学

視覚−運動視


人間は当たり前ですが、動きを見ることができます。たとえば相手が走ってるとか、電車に乗ってるとすごいスピードで動いているのを目の当たりにしたりするわけです。

でもよくよく考えてみると、何でそんなことができるのでしょう? これが運動視を考えるテーマになります。

そもそも運動視には3つの種類があります。1つは自分は動かないで相手が動く自己中心的運動視、2つに相手が動かず自分が動く外界中心的運動視、最後にこの2つを組み合わせた「自己中心+外界中心」です。ちなみに自分が動くとか動かない、というのは頭とか目のレベルでのことですので気をつけてください。

自己中心的運動視は実験室レベルでよく再現されます。ようは頭を固定して、点か何かを動かせばいいわけです。実験レベルで再現できる、ということはそれほど難しいものではないということであり、それに比べたら残りの2つは少しばかり説明が難しいというか、ほんとのところ、どうだかよくわからない部分があります。

それぞれ仕組みを説明してみましょう。

まず自己中心的運動視ですが、これは簡単。レベルで言えば神経生理学、といわれる分野の内容で十分説明が可能です。

今、目の網膜上で作られた像が2つの光受容器を継時的に刺激しているとします。なぜ2つかといえば、目は2つあるから。継時的ということは常にそこが刺激されているわけです。

2つの刺激はどこかで1つに統合され、大脳の視覚野に運動信号として入力されます。が、たまにこの2つの刺激が時間的にズレることがあります。

これを解消するためには、2つの方法が考えられます。1つはもちろん、早く来た刺激を実際に遅らせてしまうというもの。これは簡単です。しかしこれとともに思い出してもらいたいのが、高校の数学。こういうとき何かありませんでしたっけ?

そう、積分です。つまり、2つの方法とはこういうことです。

1) 2つの受容器からの興奮を途中で時間的に積分し、同時に着いたように見せかける。
2) 早く来た興奮を遅らせる。

このどちらが正しいか、というのは議論があるところですが、方向性を持つ運動の場合は2)のほうが説明しやすいです。実際、脊椎動物以上の動物ではその存在が立証されています。

これよりちょっと難しいのが外界中心的運動視。何で難しいかというと、相手は動かず、頭や目が動くわけですから、網膜上でできる像の位置は常に同じところにあるのです。にもかかわらず、動いて見える。どういうことか?

これについては2つの有名な説があります。1つがシェリントンの流入説。もう1つがヘルムホルツ、フォンホルトの流出説です。

この2つの説は途中まで言っていることが同じです。つまり、動く対象を追視する目の動きと、網膜上の点が動いているか、止まっているかの2つの情報が脳のどこかで統合され、比較されているのではないか、ということ。

流入説の場合、目を動かすとき、つまり動眼筋が緊張、弛緩するときに出てくる自己受容的な感覚が、大脳の比較器に入ってくると考えます。入ってくるので、流入なわけです。

これに対して流出説は、目を動かせ、という指令そのものが直接比較器に入ってくると考えます。こちらの場合出て行く一方なので、流出。

これのどっちが正しいかのはまだいえません。「比較器」そのものがどこにあるかすらよくわかっていません。

ですが、あえて言うなら、流出説のほうが有利です。たとえば「位置の恒常性」(目が動いても物体の位置が大きく揺れ動くことはないという性質)を確かめる実験で、目の動きを薬で止めて、目を動かすように指示したら、実際には目は動いていないのに、動いたと感じたという、そんな研究があります。これは流出説を大きく支持します。

この2つを混ぜた「自己中心+外界中心」の場合、さらに難しくなります。実験室レベルでも再現はとても難しいといえるでしょう。ですが、日常で普通起こる運動視は、実はこれだったりします。

なぜ難しいかといえば、「自己中心」と「外界中心」の考え方だけでは説明できないような現象が山ほどあるからです。

たとえば、映画が見れるメカニズムである「仮現運動」を考えてみましょう。

今踏切の前にいるとして、その踏切がもう閉まってるとします。踏切が閉まってるということは、あの赤い警報機が上下(または左右?)にピカピカしているわけですが、あれって、どう見ても上から下へ、動いて見えますよね。下にそんなの作ってみましたが、これ実際には、個別に時間差をもって光っているだけです(ここでは1000msec(=1sec)に設定)。なのに動いて見える。これは仮現運動の一番単純な例といえるでしょう。

仮現運動

この現象をさっきからの考え方で理解できるでしょうか。すぐに無理だって事に気づくと思います。

この仮現運動については2つの考えで説明できます。1つは、2つを動く間に脳の中を興奮が伝わるので、2つ重なるところが出てきて、それが間を補間するのではないか、というもの。これについては脳の視覚野、特にV2とMT野がかかわっているのでは?といわれています。

これともう1つは、この現象はある程度間隔を広げても起こるので、これはこういうものなんだ、という映像に関する知識が働いているのではないか?という考えです。

どちらにしろ仮現運動は日常に起こる「自己中心+外界中心」の端的な例だってことは言えるでしょう。

ほかにグローバル運動なんてものもあります。これはすべての点で動きの向きが違うと、全体を平均した向きに動いて見える、というものです。運動の主の向きを視覚が判断している例ですが、これも今までの説明だけではよくわかりません。

あと、誘導運動(それ自体は止まってるのに周りが動いてるので動いて見えるというもの)、2次的運動(実際には動いてないのに状態の変化が動きに見えること。放送終了後のテレビの「ざー」っていうノイズなんかがそれ)、運動残効(動いている電車の中からレールをずっと見ていると、止まったときにレールが逆向きに動くなんていうこと。運動視を起こす神経系のどこかが連続的な興奮のために感度が落ちるためと考えられる)、接近運動知覚(対象が自分に、または自分が対象に向かうとき、加速度的なスピードでそれが起こると生じる知覚。壁にぶつかる!とか、上から物が落ちてくる!なんて時)などなどの運動があり、これらはコンピュータグラフィックス、つまりCG技術の進歩とともに研究も進んできましたが、まだまだこれから。

運動視はまだまだわからないところがいっぱいあるという感じです。