心理学のお勉強

知覚心理学

わからない、わからない


心理学ではアリストテレスのいた古代ギリシャの時代から、まだ哲学の一分野だった時代、そして今にいたるまで、この「知覚」というテーマが常に最先端の話題となっています。

そしてその重要性が反映されてか、「知覚」というテーマは教科書のだいたい最初に置かれ、しかも、その割には、まだ謎だらけで「……かもしれない」という言葉が連発する、非常に悩みが尽きない分野となっています。

皆さんの中には、そもそもなぜ「知覚」というテーマが心理学に属するのか、疑問に思うかもしれません。実際、内容を知ると「こりゃ生理学じゃないか」と思う人さえいます。

ですが、こう考えてほしいのです。心理というのは「人間がどう行動するか」なわけですから、それを行うための制御部だったり、監視部が必要です。そういうデータの入出力系があって初めて、人は人らしい行動だったり、考えだったりができるわけです。

この行動だったり、考えというのは最終的には人格というのに統合されます。ということは、人格のベースにはそういうデータの入出力系、つまり知覚機能が重要な役割をしている、これを心理学で研究しない手はないじゃないか、とこういう事なのです。

そう思って今まで、長いこと研究されてきました。

この知覚研究のテーマの1つに、「人はなぜ見えるのか?」というのがあります。歴史的に考えればこの問題に、古代ギリシャのアリストテレスや、物理学者で知られるニュートン、デカルト、画家のレオナルド・ダ・ヴィンチ、文豪ゲーテ、天文学者のケプラーといったさまざまな人たちが関わっています

たとえば、ニュートンは光そのものには色がなく、それを捕らえる感覚側に色というのが存在することを提唱します。色彩研究はここに端を発して、ゲーテや物理学者のヤング、そしてそれがヘルムホルツの手にまで進んで、形になっていきました。

もっと基本的な見えることに関しては、ダ・ヴィンチが目の中には像が転倒して入ってくることを述べ、いろいろ踏まえて、それがケプラーの手によってしっかりと問題になります。そして今の今ままでそれが知覚研究の最大の謎です。

これら基礎的な研究をベースに、今ではそこに「脳神経科学」や「計算機科学」なども使われて、さまざまな研究が行われています。具体的には、視覚はどんな感覚よりも優位に働くとか、そのデータ処理過程はいくつもの部位に分かれている、とか、そういうことがわかってきました。

こういう現代の知覚研究にはその中心に「脳」があります。視覚にしろ、聴覚にしろ、そのデータは結局脳で処理されるからです。そのため、医療機器であるCTやf-MRI、PETといった最新鋭の機器もバンバン利用されています。

しかしそれでも、ほとんど何一つとして解決できていない。それがこの知覚です。

たとえば、先ほども登場した根本とも言えるテーマ「人はなぜ見えるのか?」という答えにはまだちゃんとした答えが出せていません。「なんで動いて見えるの?」なんてことになると、もう考えだけで大変です。

すごい機械を使っていくら脳がわかってきたとしても、それが一体どう働いているのか、わからないものはわからないのです。それに答えようと数多くの心理学者がしてきましたが、まだ決定的なものは出ていません。

このバックグラウンドには知覚研究というのが非常に幅広く、「感覚」や「認知」も対象にしているということがあります。

感覚と知覚、知覚と認知というそれぞれに具体的な差は見出せません。ですから、それはしょうがないことではあるのですが(あえて言うならば、感覚が自分自身の状態を知ること、知覚が環境などの周りを知ること、そして認知はそのメカニズムということができる)、それにしても、数千年研究しても、わからない事だらけなのです。

たとえば、感覚、知覚というのには「視覚」「聴覚」「味覚」など、いろいろなのがあります。どれもこれも、基礎的なものばかりです。でも、これを第一線で研究している学者たちはみな一応に、「……だと思う」とか、「……じゃないのか」、お手上げなときはもう「わからない」としっかりいいます

知覚研究の奥深さはまさにこの「わからないものはわからない」というところにあるでしょう。

この「知覚心理学」シリーズでは、そのようなまだ謎だらけなところも踏まえて、「ヒトが感じること」を考えていきます。

そしてそれに沿っていろいろな話も取り上げていきます。でもそれは、あくまで現時点で知覚心理学者や認知心理学者、実験心理学者が考えているもので、あたりまえだとか、そうだとは絶対思わないでください。この分野には、常に疑いの目を向けていてほしいのです

心を理解する、それがどれだけ難しいのかは、この「知覚心理学」を見ればよくわかると思います

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