心理学のお勉強

学習心理学

学習とは。


イギリス生まれ、アメリカ育ちな「学習心理学 learning psychology」は、もともと、17世紀から19世紀の世界的な流れ、「経験主義 empiricism」「連合主義 associationism」をベースとして立ち上がりました。

ここで、経験主義とは、生まれたときはまっさらの紙(これをタブラ・ラサと呼ぶことは有名)と同じで、全ての知識は経験によって得ていく、という考え方のことです。

で、連合主義は、感覚とそれから生まれる観念を要素として、その連なりとして心を理解しましょう、という考え方を指します(この連合主義から今の統合失調症、ちょっと前の「精神分裂病 schizophrenia」という名前が生まれたことはすでにどこかで書いた)。

ここに自然科学における革命の1つ、「ダーウィンの進化論」(簡単に言えば、適応するものだけが生き残る、という考え方)が入ってきて「機能主義心理学」、そこでワトソンという学者が「行動主義」を宣言して、心理学は自然科学の仲間になろうとしていくわけですが、そのような流れの中で、学習心理学というのは大きな学問となっていきました。

では、歴史はここらへんにして、心理学で使う「学習 learning」という言葉は、普段よく使う学校のお勉強のような学習と意味がかなり違いますので、まずそこら辺をはっきりさせておきましょう。

心理学での「学習」は、「経験によって生じる比較的永続的な行動の変化」のことを指しています。たとえば、一度犬にかまれて、それ以来ずっと犬が怖いとか、そういうことが「学習」です。ですから、学校の勉強などはどちらかといえば「記憶」にカテゴライズされることでしょう。

で、この学習には前提条件があります。まず、成長(心理学的に言えば、発達)によって得られる行動、たとえば、身長が伸びたとか、そういう理由で出来るようになったことはすべて除かれます。また、一過的な行動の変化、たとえば、休めばなくなるような疲れとかも学習とはしません。

これを別の言葉に言い換えれば、学習には「練習 practice」が必要である、ということになるでしょうか。もちろん、学習には自分がやるだけではなくて、他の人がやったことを見て、それを自分に生かすという「観察学習」とか「ものまね」なんてのがありますので、そうひとことで言い切れない部分がありますが、まあ、大枠では外れていないでしょう。

で、このような学習は、一般的に「経験→内的過程の変化→実行行動の変化」という道を通ります。ただ、観察学習の場合、当たり前ですが、自分では行動しないので、「内的過程の変化」は目に見えないですし、また、学習されることで行動が消える(赤信号の時は横断歩道を渡らないようになるとか)場合は、過程の変化も行動の変化も形として現れないことが少なくありません。

そのためさっきの「学習」の定義はさらに緻密にする必要があります。一般に学習とは、「経験によって生じる比較的永続的な行動の変化で、実行行動に影響を与える潜在的な過程」ということが出来るでしょう。

この学習によって得られる行動は大雑把に分けてしまえば、対象に近づいていく「接近 approach」と、対象から避けようとする「回避 avoidance」の2つになります。たとえば、目の前にケーキがあって、おいしそうだから食べよう、とするのはアプローチです。でも逆に、あの犬怖い、こっち通ろう、っての場合は回避ということができるでしょう。

このわけ方は非常に大雑把ですが、でもこう考えると学習がわかりやすいような気がしますので、これをちょっと覚えておいてください。

では、これら学習によって得られる行動と、そのほかの行動とはいったい何が違うのでしょうか?

ここで大事なのが、学習以外の行動を考えることです。これは一般的に大きく分けると「走性 taxis」「反射 reflex」それと「本能的行動 instinctive behavior」の3つに分けることができます。

「走性」は「刺激源に対して一定の行動を保とうとする動物の移動行動」と定義され、簡単に言えば、ライトに向かって蛾が飛ぶみたいなのがそれ。

「反射」は、意思の支配を受けない行動のことです。動物種が同じなら大体同じ行動となる、生まれつきできあがっている(ready-made)という特徴があります。なお、梅干を見るとよだれが、とかは、学習によって得られる反射ですので、ちょっと注意(この話はレスポンデント条件付けのところで詳しく)。

もう1つの「本能的行動」というのは、体の中で条件が揃って、そのとき刺激が与えられると、生まれつきある運動プログラムが作動する、というタイプ。その条件のことを「動因 drive」、刺激のことを「解発刺激 releaser」、動物種で共通する運動プログラムのことを「FAP. Fixed Action Pattern」といっています。

この行動は一度スイッチが入っちゃうと、状況が変わっても作動しちゃう性質があります。しかも、種が同じなら同じプログラム=ワンパターンでもあります。人間にはこれはない(あるとするならば「本能的傾向」か)。

これらと学習の大きな違いは、そもそも学習という過程によって得たかどうかということと、柔軟性や可塑性があるかどうかということです。上の3つは基本的に全部生まれつきですが、学習は経験で起こります。また、学習された行動は、状況が変わればなくすことができます。上の3つではそれは不可能。そういうところが違うわけです。

ただ、実際問題、区別して研究するのか、というと必ずしもそうではありません。さっきも書いたように、学習によって起こる反射というものもありますし、これが反射だ、本能的行動だ、とすぐ見てわかるというものでもなかなかないのです。

ですので、学習心理学の研究では「学習に必要な条件を見つけること」「次に起こる行動を予測すること」そして、「その行動をコントロール(別の言葉で言えば、統制)」することに重点が置かれています。

で、日常で起こる行動はかなり複雑なので、学習によって起こる反射だけ見ようとか、そのように「環境をコントロール」して実験をしたりするわけです。

また、「学習の基本的な過程は動物種を超えて共通する」という前提の上に研究が行われますので、研究対象は必ずしも人間ではありません(チンパンジーとかが有名ですね。計算できちゃったりしちゃうの)。

ということで、行動そのものという観点では切らずに、それが学習によって起こるかどうかを問題にしていくと思ってください。

もちろん、このような学習心理学によって得られた知見は単純に学問にとどまらず、たとえば「行動療法」とかの形でいろんなところにも影響を与えています。また、今までの科学的な学習だけではなく、人間というのは社会の中で生きているということを考えた学習理論なんていうのもあります。

このシリーズではそのような「学習」を見ていきましょう。

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