心理学のお勉強

児童心理学

発達理論


児童心理学とは、その名のとおり、児童を対象とした心理学です。そのバックグラウンドは数多くの心理学分野の研究で成り立っており、そういう意味ではちょっとした応用の世界かもしれません。

この児童、とは法律上は18歳以下の事を指します。しかし、学校教育では小学生を児童、中学生を生徒と分けたり、社会通念的にはある程度社会的に自立できるまでを児童と呼ぶため、必ずしも18歳というのが正しいくくりとはいえません。

ですが、心理学的には発達の段階というので児童を考えることができます。ここではピアジェ、エリクソン、そして、ヴィゴツキーという3人の学者の考え方をご紹介しましょう。

ピアジェは発達心理学にとっては非常に重要な1人です。もともとはスイスの生物学者で、そのあと心理学に転じ、世界初の知能テストを作ったことでも有名な国立ビネー研究所に入ります。ここでピアジェは知能テストの製作や分析をしていたのですが、ある日子供たちを見ていて、その発達に何かしらの流れみたいなものを見出し、そこから有名なピアジェの発達段階を生みだします。

この具体的な話は発達心理学に譲るとして、児童はこの発達段階で言うと、「具体的操作期」に当たります。ピアジェは環境への働きかけを自らがすることで認識を発達させるという説を持ち、この具体的操作期ではそういう意味でいくつかの重要な概念が得られます。

ピアジェの発達段階
発達段階 年齢 内容
感覚運動期 乳児期 言葉などを使うことは出来ない。あくまで、触ったり、重さを感じることで世界を知る。
前操作期 幼児期 言葉がちょっとわかるようになる。言われたことを頭に浮かべることはできるが、行動には出来ない。イメージ主体で世の中を理解する。論理操作は出来ないので、量の保存などはわからないし、願望と現実をごっちゃにしたり、関係ないもの同士を結びつけたりする。
具体的操作期 小学生〜
中学生
前半
ある程度論理的に考えられるようになる。ただし、具体的に目の前にあるものに限るので、指を使って1+2=3はできるが、頭の中でそれをすることが出来なかったりする。
形式的操作期 青年期 目の前にないものでも論理的に考えられるようになる。過程や抽象的なものも扱えるので、もし〜ならば〜である(if-then-else)が可能となる。

その1つが現在の見えからの脱却です。たとえば、これ以前の子供の場合、1リットルの水を平べったい洗面器みたいな容器に入れた場合と、ペットボトルに入れた場合では、まったく違う量として判断します。つまり、移行しても何も変わらない、という保存の概念が成立していないのです。

このためには、可逆性操作、補償、そして同一性(つまり、1リットルの水は移しても1リットルの水と判断できること)という概念がしっかりと身についていなければなりません。

数でも同じことが言えます。同じ数のおはじきを目の前に置き、その個数を数えさせた上で、目の前で1つずつの間隔を広げると、子供たちは個数が増えた、と認識します。最初に並んでいたおはじきの長さより、少し広がって長くなったからです。

これも保存の概念が成立していないことを意味しています。一般に水などの液量保存の概念が成立するのは10歳頃、おはじきのような数の保存が成立するのは6歳頃、と考えられています。

ほかにも、子供は「のぞみ」という新幹線と、新幹線そのものを区別して考えている、つまり、カテゴリー分類ができていないことが多いのですが(それは発言でわかる。「お母さん、のぞみってなんだか新幹線みたいだね」って言ったりしますよね)、具体的なレベルでそれが可能になります(言語とか、抽象的なものはまだ無理)。

そして最大の変化は自己中心性からの脱却です。たとえば、それまでの子供は電話越しの相手に「見て見て〜」と言ったり、まったく知らない人に向かって「僕のお父さんの時計みたい」とか言ったりしますが、そういうのが少なくなります。つまり、他者の視点に立って物事を伝えることができるようになるのです。

ピアジェはこのように比較的低年齢のうちに発達は完了し、そしてそれが生涯にわたって生かされると考えていました。

これに対してもともとはフロイト派だった心理学者エリクソンは、フロイトの発達段階をベースに生涯にわたる発達を考え、また社会との関係を組み込んだ新しい発達段階を作り出します

エリクソンの発達段階
発達段階 年齢 内容
乳児期 基本的信頼

基本的不信
保護者など、自分を世話してくれる人との間で、不安にさいなまれることなく自分が愛されているんだ、という実感を得る時期。そのために、スキンシップが重要となる。これに失敗すると、自分で自分を愛せないことになり、後の発達に大きな影響を与える。
幼児期前半 自律 対 恥・疑惑 自分の意思でコントロールすることを覚える。心的な自信が芽生える。これに失敗すると、自分に対して確信が持てず、不信を持つようになる。
幼児期後半 自発性 対 罪悪感 自分で考えて自分で行動することを覚える。好奇心などからいたずらをしたりもする。なので、大人は行動ではなく、その動機を大事にするべきである。これに失敗すると、やるのはいけないことだ、と罪悪を感じるようになる。
小学生時代 勤勉性 対 劣等感 やればできる、ということを経験し、がんばることを覚える時期。なので、大人はがんばった、ということを大事にすべきである。これに失敗すると、何をやったってダメ、と劣等を感じるようになる。
思春期〜
青年期
自我同一性獲得

自我同一性拡散
私は誰?(Who am I?)という質問に対して、自分は自分である、ということに気づく時期。第2次性徴がきっかけとなる。普通、男の子はポジティブに、女の子はネガティブにとる傾向がある。正確な自己像を発見することによって、自分はこうなりたい、こうである、という自我同一性(アイデンティティ)を獲得する。また、やりたいこと、そのすべてをやることは出来ない、という全能感の否定も起こる。ここで獲得したアイデンティティはその後も随時修正されるため、自我同一性の獲得、そしてその維持は、生涯の課題である。なお、この時期は社会的なさまざまな義務からまだ逃れることができる時期のため、猶予期間(モラトリアム)とも呼ばれる。これに失敗すると、将来に関する展望が開けない等、自我同一性の拡散が起き、問題となる。
成人前期 親密性 対 孤独 特定の1人と親密に付き合うようになる。それは、異性、同性を問わない。その時、付き合うもの同士、自我同一性を獲得していなければならない。相手を尊重しあうことを覚える時期でもあるので、相手が自分に合わせてくれないからといって、相手の同一性を消し去ろうとしてはならない。相手の存在そのものを愛する時期である。これに失敗すると、特定の1人と付き合うことによって、自分をなくすのではないかと不安を覚え、その場から逃げるようになるため、孤独が起きる。
中年期 生殖性 対 停滞 他者が育つことを助けることができるようになる。それは、自分の子供のみに限らず、部下、後輩などや社会的なものに及ぶ。これに失敗すると、自分のためだけに力を使うようになるため、停滞が起きる。
老年期 統合 対 絶望 自分の今までの人生を、どんなことがあったとしてもこれでよかった、これしかなかった、と思えるようになる。社会的に成功を収めたからといって、この統合ができるとは限らないし、また、過去に問題があったからといって、統合が出来ないというものでもない。これに失敗すると、このままでは死ねない、と死ぬことに恐怖を感じ、また絶望する。

エリクソンの説では、6歳から12歳は「勤勉性対劣等感」というのが発達課題となります。ここでは、勤勉性が獲得されなかった場合は、その反対として劣等感が獲得される、と考えてください。

子供は非常に大きな好奇心を持って、社会で必要なテクニックを学んでいきます。このときに勤勉性が獲得されるわけです。またその過程で、やればできるんだ、という体験が生まれれば、達成感も形成されるでしょう。

劣等感がその反対にあるのは、この勤勉性を獲得する中、盛んになっていく仲間関係との間で比較が起こるからです。あの子はがんばってるけど君はまだ、のようなことが起これば、それは劣等感を生み出しかねません。

体育で考えてみてください。すごく早く走れる人と、ぜんぜんダメな人がいた場合、ぜんぜんダメな人は劣等感を抱きやすいことは容易に想像できます

エリクソンはこのように社会との関係の中で発達が進むことを述べているわけですが、これとはまた少し違うアプローチをしたのが、ヴィゴツキーです。

ロシアの言語学者ヴィゴツキーは、人を社会だけでなく、歴史だったり、文化だったり、そういう大きな枠組みの中で捉えています。そして、個人そのものより、個人間のプロセス、つまり、やり取りや社会、文化全体が発達にどんな影響を与えるのかを考えるのです

子供の場合、最初は大人との相互作用によって、言語、認識、記憶といった機能を得ていくと考えられます。つまり、教えてもらうわけですね。そして、そうして教えてもらったものを、今度は自分自身の内省によってさらに磨いていくわけです。

つまり、すべてのことを1人で起こしているわけではなく、ほかの人が絡んでいるかもしれないのです。ですから、ものによっては他者の援助や助言を聞きながら行動していることも考えられ、逆に言えば、援助できるものとできないものを区別しなければならないかもしれません。このようにヴィゴツキーの理論は、発達への新しい視点を与えたという点で、注目をされています。

発達理論はほかにもフロイトによるものなど数多くあります。ぜひこの辺は、発達心理学などを読み合わせてもらえるといいかと思います。

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