cafe de psyche

研究室の片隅から(2004年9月)


大学院生になって、既に半年近くの日々が過ぎました。この間、ちまちまとレポートや論文(同じものじゃないかという指摘はダメ)を書き、講義を受け、本を読み、本を読み、ネットをし、ネットをしておりました(作業した比率順に書いてみた。後者になるほどよくやったもの)。

なぜでしょう、学部生の頃に比べれば、ある程度の自由は増えているはずなのに(講義の数とか、減ってますから)、これほどまでに忙しい。なんていうか、精神的に追いまくられている感じがずっとしております。

例えば、文献検索。googleなんていう普通なネットの検索システムから、NACSIS-webcatなんかの文献検索専門のシステム、あちこち使いまわして、しらみつぶしに文献探しを日々しているのですが、なんだかね、焦る。

いっくらキーワード入れても何も引っかからないときなんか、「先行研究がないってことはないだろ? ってことは、どこに資料はあるんだ!」と心の中は大変なことになるし、そう思いつつ、「先行研究がないってことは、まったく新しいことにつながるかもしれないわけだよな」と心躍ったりする。でも、ふと現実に戻って、「先行研究がないってことは、調査票とか、いちから作るの? やだ!」とか、めちゃくちゃ考えて、また、ひっそりと検索を再開する日々。精神、大忙しです。

ちなみに、このpsycho lab.というサイトでは、学問としての「心理学」を扱っているわけでございますが、それはまあ、私の学部時代の専攻でございまして、私の現在の専攻、専門分野は必ずしも「心理学」とはいえません。どちらかといえば、「社会情報学 socio-infomation studies」なんていう分野に当たるかも。まあ、「心理学」「社会学」「メディア論」「カルチュラルスタディーズ」「文化人類学」などなど、ありとあらゆる学問のエッセンスが混じってるとお考えください。もちろん、「情報科学」「情報工学」なんていう理系のエッセンスも大量に混じっております(アイス、バニラエッセンス入れすぎ!くらいに大量に)。簡単な言葉で言えば、「学際」

研究テーマに関しては、練り直し中(またかという感じですが)。なにしろ、受験の際に書いた研究計画書、あれの段階から、大学を卒業した後の春休み、そこでもひとり頭の中でつらつら考え、それを今の今まで引っ張ってる感じ。特に、院生同士のゼミは効くなあ。中途半端なテーマ立てて挑むと、撃破されますからね。院生同士で議論を戦わせている場面、ちょっと想像してみてください。正直、あんなにヒートアップする会議なんてそうはないでしょう。ものすごくアカデミックな総攻撃。いや、もちろん、それって、よりよい論文を書きましょ、という姿勢なんですが、でもね、結構ズタズタになって、立ち直れないくらいになるんだな。

だから、常に、よりいいのはないか、いい形はないか、と考え続けるのです。1回決まり、文章になるまでまとめ上げても、そこからほじくりなおす。今ではそれを考えるのが仕事みたいな感じ。山ほど浮かび上がらせては、よりよくて、自分の力で出来そうなものを絞りこむ作業をつらつらとしております。多分、純理系の研究科では考えられないようなステップでしょう。

現在は若干そこから脱却して、具体的な話に入っておるところ。研究計画書とは全然違うテーマになるかも(筋をよりでかくしたというかなんというか)。修論の章立て構成も視野に入れながら、日々邁進の日々です が、いやあ、具体化すればしたで、大変なのだ。

何しろね、研究室行くまでの道のり↓が真っ暗に感じる時がありますよ(物理的に暗いという話でもあるが、それ以上に、精神的に)。だって、成果が上がってないんだもん。

研究室へと続く廊下

こんなのに比べれば、講義出て単位取ることなんて、楽勝です。どんな難しい試験を課されようと、レポート書けと言われようと、そんなのなんてことない。だって、それらにはある程度の答えが用意されていますから。頭ひねれば、出てくるわけですから。

本当に大変なのは、今現在まだ答えが出てなくて、それを明らかにしていかなければならない時。そしてそれを大学では、研究活動と呼ぶのであります。ああ、たまに大学院なんか行くんじゃなかった、と思うときがあるよ(忙しすぎるとか、書くの大変だとか、まあ、そういったときだけですが)。

私たちがこれから書く「修士論文」というのは、「学位論文」です。つまり、「修士」という学位にふさわしい論文を書かなければ、認められません(一応。ここでは、現実の話はあえてしない)。だから、仕方ないか、と思ってがんばる日々。

よく考えてみたらさ、社会の中で「マスター」という称号がどれだけの価値を持つのかといったら、実際問題、そりゃどうなのよ、って感じではあるんですが(少なくても「ドクター」に比べれば大幅に低い評価でしょう)、それでも、やる限りはね、ちゃんとやりたいわけです、私としては。

ということで、これといった夏休みもなく過ごしている、私の近況でございます。