心理学のお勉強

知覚心理学

知覚研究の応用


「知覚心理学」シリーズの最終回です。書き終えるのに2年半近くかかったことは内緒ですが、最後はこうやって知覚のことを研究して、なんの役に立つのだろう?というお話です。

人間、絵を聞くことはできませんし、音を見ることはできません。

もし、体のどこかの感覚器官に障害を負ってしまった場合、可能な限り、その障害を負ってしまった器官で何とかしようと思うわけですが(私もそうですが、近視の人がメガネをかけるのはその道理です)、それでもどうしようもできない場合、他の感覚器官で代行させるという手段を考えることになります。

例えば、目が見えないからといって、それでおしまいなのでしょうか。外の世界を感じることはできないのでしょうか。もちろん、そうではありませんね? そのままでは見えない「文字」を物理的な「形」にしてあげて「点字」として提示するとか、信号に「ぴよぴよ」と鳴かせてみるとか、様々な感覚器官(前者の例は触覚に、後者は聴覚に)に「目ではできないこと」を補わせてみることをトライしてみるわけです。

インターネット、特にウェブの世界でも、最近そういうことが言われるようになってきました。視覚がメインのウェブサイトをそのテキストを読ませることで理解させる、こういうことはもう実現しています(そのため、制作現場では「ウェブ・ユーザビリティ」という問題が常に考えられていたりします)。

もちろん、これらにまったく問題がないわけではありません。例えば、視覚系がうまく働かない人が、どうやってパソコンを起動させられるんだ? どうやったらそのサイトまでアクセスできるんだ? サイトにたどり着く前の段階で、まだまだ問題が残っていたりします。しかし、世の中のいろんな人が、特に、(専門家ではなくて)普通の人がそういう問題について考えていくことは、かなり大事なことです。

こういうことを考えていくとき、ひとつの情報を提供するのが、知覚研究によって得られた知見です。これらの研究によって、知覚にはどんな特徴があるのかがわかってくれば、私たちはそれを応用して、いろんな手段や方法を考え出すことが可能です。

例えば、「歩く」ということを考えてみましょう。歩行という行為を心理学的に考えると、3つの条件の組み合わせによって成り立っていると指摘できます。

ひとつは、「モビリティ mobility」つまり、動けることです。歩行の場合、躓かずに歩けること。次が、「オリエンテーション orientation」つまり、迷わずに歩けること。そして最後が、「ナビゲーション navigation」つまり、地図を見て歩けることです。

地図を読み取ることができなければ、新規の土地を探索することはできません。読み取ることができても、迷いやすい人はやっぱり探索できません。そして根本的に、足が動き出さなければ、探索できないのです。

足が動かないという事態に対しては、いろんなフォローの方法が考え出されてきました。松葉杖とか、車椅子とか、電動カートとかです。足を使わないで動かすことができる自動車というのも最近ではあって、そういうのを使えば、移動距離は大きく広がっているのが現在です。

問題は、残り二つ。オリエンテーションとナビゲーションです。中でも、人間が一番重要としている「目」が見えないことは、オリエンテーション、ナビゲーションともに、大きな問題を与えます。

このことに関しては、様々な取り組みが行われています。特に、情報技術との絡みで、いろんな取り組みが行われています。例えば、一番最新の研究では、障害を持った方に受信機(レシーバー)を持ってもらい、道路や建物などに発信機(トランシーバー)を埋め込んでおき、発信機から受信機に適宜情報を送りながら、時に、イヤホンを通して、カーナビのように「50メートル先、右折です」みたいに、その人に情報を伝えたりして、こういう問題を解決しようとするものがあります(最近、「ユビキタス ubiquitous」という言葉をいろんなところで聞くことがあると思いますが、これもそういう流れの表れ。ユビキタスとは、あちこちに存在するの意。テクノロジーの世界では、情報を街中に埋め込む、という意味で使われます)。

もちろん、これですべての問題が解決するとは思いません。でも、手助けにはなってくれるだろう、そういう期待は持てるんではないでしょうか。

それに、これは障害を持つ人だけに影響を与える問題ではありません。特に問題はない普通の人々にとっても、ポジティブに働くと期待できます。

例えば、最近、ウェブデザインの世界では「アフォーダンス affordance」をちゃんと考えよう、という動きがあります。アフォーダンスとは、環境側が私たちにメッセージを与えているという考え方です。

例えば、ウェブの世界で、文字が青く、そして、下線が引いてある部分があるとしたら、それは「リンク」を意味します。そして私たちは、そこにマウスのポインタを持っていって、クリックを試みるでしょう。つまりこれは、「文字が青くて、下線が引いてある」というものがひとつのメッセージとなっているわけです。

しかし、ことウェブデザインの世界を考えてみると、リンクの形は様々に存在します。下線が引いてないのもあるし、青じゃないのだってあります(psycho lab.は違いますが、私が他にやっているサイトではそうだったりします)。中には、Macromedia FLASHを使って、インタラクティブなリンクを作っているところだってあります。

これは果たしていいことなのか。少なくても私は、デザインとしてはありだと考えています。ちゃんと、マウスをナビゲートしてくれればね。

でも、お年を召した方だとそうは思わないかもしれません。つい最近、というか、[「web designing」04年4月号]に載っていたのですが、お年を召した方にユーザビリティ(使い勝手)の実験をしてみると、やっぱり、ウェブサイトは使いにくいもののようです。

ここで出てくるのが、アフォーダンスです。お年を召した方が見るんだとしても、すっきりさっぱり情報にありつけるナビゲーション。これをデザインと両立させることは簡単ではありませんが、その時、アフォーダンスは何がしかの手助けはしてくれるでしょう。

これはウェブサイトの例で言ってみましたが、街中にあるいろんなものでも同じことです。例えば、どうしようもないくらいに複雑な新宿駅のナビゲーション(改札を出ずに南口から東口に抜けるのに、ホームを通らないといけないってどういうことよ)とか、もっと身近なレベルで、嫌にボタンがいっぱいあるリモコンとか。これらも、もう少しアフォードしてくれれば、迷わず使うことができるのに…。

それら一つ一つを考えていくためには、認識する基礎を作り上げている、知覚についての研究が結構必要です。そして、それらを日常という応用場面にフィードバックしていく。

一見すると、心理学で知覚を研究することの意味はよくわからないかもしれません。カウンセリングや心理臨床に興味があるという人にとっては、なおのことそうかもしれません。でも、こう考えてみたらどうだろう。

目が悪い人がメガネをかけると、その人は一瞬にして感じる世界が変わって、クリアに世の中を見渡せることに心が動く。私だって、メガネが汚れてくると、かなり気になるものです。このように、知覚は確実に心に影響を与えている。だから、研究する。何も、思うとか、考えるとか、それらばかりが心の働きではないのです。

そして、そうやって研究して得た知見を、もう一度現場に戻していく。

これからの知覚心理学は、医学や生理学、神経科学などとの境界がより一層はっきりしない分野になってくるでしょう。そして、さらに広がりを持った分野になるだろうと思います。どんどん難しい分野になっていくでしょうし、根本的に突き詰めるところが見えるのかどうかわからない分野になると思います。

とりあえず、現時点の知覚心理学は、こんな感じでございます。