心理学のお勉強

人格心理学

現象学的アプローチ


現象学的アプローチとは、現代カウンセリングの祖ともいえる心理学者カール・ロジャースに代表される、今現在に目を向けた考えです。

それまでの人格理論、そしてそれにつながる心理療法はえてして、過去(たとえば、子供のころの体験とか)にその原因を求めがちでした。これに対してロジャースは、今現在起きているこの出来事の「何がその人を傷つけていて」、「どんな方向に向かわせようとしているのか」、そして「それを知っているのはクライエント自身である」という考えを下に理論を展開していきます。

これは当時「非指示的療法」と呼ばれましたが、その名前に誤解が生まれやすいために、現在では「クライエント中心療法」と名前を変えました。

この考えはまず2つの基本的な仮定から始まります。

(1) 個人はすべて、自分がその中心であり、絶えず変化する経験の世界に存在する。これを私的世界と呼ぶ。

(2) 有機体(=人間)は、1つの傾向と渇望を持っている。それはすなわち、経験している有機体を実現し、維持し、強化することであり、これを実現傾向と呼ぶ。

ようは今現在、私たちが経験している世界は絶対的な現実ではなく、自分というフィルターを通した世界であるということ、そして、自らの持っている可能性、これを実現させようする力、それが人間にはあるということをこれは言っています。

この基本仮定をもとに、自己理論をロジャースはくみ上げていきました。その中心には経験と自己概念があります。

先ほどの私的世界では、一瞬ごとに新しいことが起きています。ということは、人は常に新しいことを経験しているわけです。よって経験は、その一瞬ごとに存在し、次々に変化する存在です。

ただ、その経験を意識できるかどうか、これは確かではありません。たとえば、いくら外で鳥が鳴いていたとしても、気分によっては感じ取れないことだってあります。このように、経験は「意識される可能性がある潜在的なもの」ということができるでしょう。

ロジャースはこの経験を、身体で感じていると考えています。がっかりしたときにはなんか力が抜けた感じがする、というのがその例にでしょう。

そして、このベースには自己概念が存在しています。自己概念は、自分自身に付いて持つ認識のことであり、自分の特性や能力、環境との関係、そして、他人から与えられた価値などがそれに当たります。経験を受けるときのフィルターとなるもの、それが自己概念といえるでしょう

この「他人から与えられた価値」というのは面白い存在です。たとえば、父親がものすごくお酒が好きで、ものすごく飲んで、暴れたりするところを見た子供が、私はこうはならない!と考える、こういうことがそれに当たります。これはいろいろなことを考えるとき、環境からの影響も無視できないということを表します。

この自己概念と経験の間には、知覚されることがない「無視」、自己概念と経験が矛盾しない「象徴・意識化」、矛盾する「脅威・不安」の3つの状態が存在します。そして、脅威や不安が起きたときはその状態から身を守るため、防衛として否認や歪曲が起きるとされます。

「無視」の説明は簡単で、さっきの鳥の例がそれです。これはまさに、外で起こっている経験の状態が自分というフィルターを通したら存在しない、つまり無視されているのです。

意識化の状態はいわゆる普通の経験でしょう。こういうののネガティブなものは結構困り者です。たとえば、「他の人のようには社会でやっていけない」という自己概念を持っていたとします。かく言う私にもそういうところがあります(^^;)

そういう人はえてして、何かするといつも失敗するんだよなあ、とか思っていますから、それに合う過去の経験をこの自己概念と結びつけて、それを常に意識するわけです。このとき、自己概念は「ネガティブ」、経験も「ネガティブ」ですから、矛盾していません。この意識化された状態で物事を考えて、その場その場に対応していきますから、どうも新しいことに逃げ腰だったり、人に任せがちです。

これに対して、自分の考えと実際が矛盾している、「脅威・不安」の状態はちょっと大変です。たとえば、ものすごく自信のあった試験、ふたを開けてみたら赤点だったなんてことがあります。そうすると、自分の考えと、実際が大きく矛盾しますから、「嘘だあ!こんなはずがない!」と事実を否認したり、「これは採点が間違ってるんだ!」なんて歪曲して考えるようになります。

この否認や歪曲はどんなものでも起こりえます。たとえば、勇気があるとか、やさしいとか、そういうことだってその対象となりえます。相手の行動が作為的に見えてしょうがない、なんてのはまさにこの例でしょう。

この2つの状態のうち、歪曲された状態、そして否認された状態はそれぞれ、数学の集合の図のように重なり合います。そして、その真中、つまり、歪曲された状態と、否認された状態が重なり合ったところに意識化された状態が存在します。

自己概念と経験

いわゆる悩みを抱えている状態のとき、この意識化された領域が非常に狭くなります。カウンセリングの最大の目的はこの意識化された領域を増やす、つまり今の現状をありのままに受け入れることです

さて、さっきの自己概念の説明のところで「他人から受け入れられた価値」というのがありました。そして、それは環境からの影響も無視できないということを表す、と説明しました。この説明をもう少し掘り下げてみましょう。

実は価値には2種類存在します。ひとつが、生まれた頃からずっと持っている価値、もうひとつが、自己概念が出来てくる頃から自分で学んで得てきた価値です。

このうち、生まれた頃から持っている価値は「内的価値」と呼ばれ、有機体的価値付けの過程、つまり、人間として存在しつづけることに有利なことには肯定的な価値を、不利なことには否定的な価値を与えるという過程によって得らます。この内的価値のひとつのポイントは、それが固定されていない、ということです。食べたい、それに今価値があるとした場合、食べてしまって満腹になれば、もう価値はないのです。

これに対して、重要な他者、つまり親などから関係によって得られる価値が「他人から受け入れられた価値」です。子供は自分を愛し、育ててくれる重要な他者には肯定的価値を与えます。そして、好意や尊重、受容といったものを求めます。これを肯定的配慮と呼びます。

この肯定的配慮は、ある点では尊重されるものの、必ずしも絶対ではありません。有機体的価値付けの過程とはそこが異なります。

子供が大きくなり、親の手から離れるようになると、肯定的配慮は重要な他者以外からも経験するようになります。そして最終的には自分自身が、重要な他者となって、自分の中の他者の部分に肯定的配慮を求めるようになります。これを自己配慮と呼びます。この自己配慮に値するものは求め、そして値しないものは回避する、という選択的能力を獲得したとき、それを「価値条件を獲得した」と呼びます

価値条件を獲得すれば、その条件に従って生きるようになり、それに矛盾しないものは意識化され、矛盾するものには防衛が起こるようになります。ですから、価値条件を獲得してから、不適応とか、傷つきやすいといった状態が存在するようになるといえます

この他者の価値付けが、あたかも自分のもののように入り込んでいく過程は、非常に重要なものです。

クライエント中心療法では、この点に着目します。つまり、カウンセラーはクライエントに対して、無条件の肯定的配慮を与えるのです。このとき、あなたが……なら私は受け入れる、という条件付きの肯定的配慮とは違って、クライエントを一人の独立した人間として大切にします。

そしてその上で、クライエントの現在を共感的に理解(相手をその内面から理解すること)し、またカウンセラー自らもありのままの自分で居続け(これを自己一致といいます)、クライエントの意識化を促していきます。

ロジャース自身この「無条件の肯定的配慮、共感的理解、自己一致」は完全には出来ない、といっています。あるときには条件付きの肯定的配慮をすることだってあるし、共感的に理解することが難しいことだってある、だからこれを完全に行えるのは理論上以外にはありえない、と言っています。

ただ、自己一致には非常に高い重要性が与えられています。カウンセラーが自己一致出来なければ、そのカウンセリングに意味はありません。だからもし、そのクライエントと会うのが嫌だとした場合、それを取り繕って無理に笑顔を作るより、そうであることを表すよう望まれます

このように現象学的アプローチは、今現在にフォーカスが当てられる人格理論です。