cafe de psyche

アドスタ(2004年2月)


2004年2月ももう下旬。あと少しで卒業だあ!な季節になりました。

私としては、大学でやるべきことは全部やった!あとは評決を待つのみ!という感じ。まあ、ネガティブな方向にこの評決が出ると、とんでもないことになるので(少なくても、大学院入試がパー)、それだけはお断りしたいと思っています。

さて、大学4年のこの一年間、[東京都が行っている「アドバイザリースタッフ事業」]というものに私、参加しておりました。アドスタってのは、簡単に言えば、親とか学校とか教育委員会などからの依頼をもとに、私たち「そこら辺の大学生」が学校だのなんだのに行き、問題を抱える子供と一緒になってなんかやる(具体的には、遊ぶ)という話でございます。

こういうことをやっているのは何も東京だけではないと思います。違う名前でいろんなところでやっているみたい。例えば、横浜の「ハートフルフレンド」(すごい名前だ)とか、秋田、滋賀などの「メンタルフレンド」、長崎の「ヤングアドバイザー」(これまたすごい名前だなあ)などがそうですね。ただまあ、それぞれ、少しずつ、東京のアドスタとやっている内容は違うようです。

まあ、かなり先見的な事業だと思います。しかも、大学とかがやってるんじゃなくて、行政がやってるってところが、さらに先見的といえるかもしれないですね。

とりあえず、学校に来ないとか、知的に障害があるとか、発達に問題があるとか、まあ、そんな理由で学校生活に支障をきたしている子供たちが、「まあ、それでもなんとか生きていこう」と思えるように、私たちみたいな「そんじょそこらの人」が関わるってのが、この手の企画の一つのテーマです(ざっくばらんに言うと)。

ちなみに、私も昔はれっきとした学校不適応者でした(威張ることでもないけれど)。今、私が小学生、中学生だとしたら、アドスタのお世話になっていただろうなあ。なにしろ、小学校では、何かありゃ学校に行かなかったし、中学に至っては、3年まるまる行かなかったもん。そんな記録は褒められたものではないですよ? 今ですら、あの日々と折り合いつけながら生きていくのは大変だし、友達だの、社会生活だので、どうしようもないようなハンディあるんだから。

で、私がそんな不適応だった時代には、こんな制度はありませんでした。アドスタという制度が始まったのは1998年のこと。私が中学生の頃ってのは、それより以前ですから、ちょっと間に合わなかったんですねえ。間に合っていれば、こんな人間にならなかったかもなあ(期待的推測)。

まあ、とりあえず、そんな話は置いておいて、この前、そのアドスタスタッフがみんな集まって、この1年、どんなことやってきたのか報告しあう会がありました。今回はその感想をさらっと書いてみます。

アドスタには、大学・大学院で心理学、教育学等々といったものを専攻していなければなることができない、という大前提があるので、みんなそういうことの知識はある人たちが参加しているわけですが、しかし。

頭に叩き込むことと、実際に不登校、発達障害エトセトラといった問題にぶつかっていくことは、全然、別な話ですね、ほんと。ていうか、学んだ知識がどれほど役に立つのかなあ、と疑問に思うくらいが真実です。みんなもう、手探り、手探り、どこまで行っても手探りという感じで、がんばっていらっしゃいました。

中には、バウムテスト、家族画テストといった、今までに学んできたものをフルに使って、自分なりにあれこれ考えながらやっている人もいましたけれど、ほとんどの方はそんなんじゃなくて、子供と実際に体当たりしながら「試行錯誤×試行錯誤=試行錯誤」という感じで活動を毎回がんばっていました。私が担当しているケースってのも、そんな感じです。

私はもう半年以上もやっているのですが、いまだに毎回がtry and error(試行錯誤)です。まあ、学校も、教員の皆さんも、みんながみんなオプティミスティック(optimistic. 楽観的)だし、全体としてとりあえずうまくいってるケースなので、私なんかほんとにいいほうですね。

だって、他の方のお話とか聞くと、そりゃあもう、大変、すさまじいの一言になってしまうんだもの。

私たちが担当としているのは知的障害とか、発達障害とか、そういった、比較的対応が難しい子供たちですから、大変、すさまじいのは当たり前なのかもしれません。でもね、自分のケースが本当にラッキーだなあ、と思うくらい、他の例はすさまじかった。

たとえばね、「お母さんの不安、どうしたらいいんだろ?」なんて思い悩むスタッフがいたりするんですよ。そんなの、こちらとしては頭を抱え込む以外にないじゃないですか。それだけじゃない。もっともっとディープな問題だって抱え込んでる。

なんていうかな、教科書に書いてあるすごい話って、いろいろあるじゃないですか。それが全部リアルに見られるのです。しかもね、「本には決して書かれないような事」までどんどこ起きてる。それにみんな、必死になって取り組んでいるのです。もちろん、手段はみんなトライアンドエラー。決まった手法などありゃしない。自分で考え出し、子供と一緒になって悩み、考え、突き進んでみる。

それだけならまだいい。そこに加えて、学校が協力的じゃないだのなんだのという、アドスタ特有の問題が出ていたりするのです。

ああ、ああ、すさまじい…。そう思いました。

アドスタって、確かに認知度の問題とか、いろいろあったりするんですよね。少なくても、「スクールカウンセラー」よりはマイナーでしょう。東京都民の皆様、どれだけの人が私たちの存在を知っているかな?

そういうのは学校現場もそうなのです。だから、私はそういう意味でほんとラッキー。私の行っているところはそういうのに積極的だし、理解もあるし、受け入れも非常にいいところです。安心していろんなことができる。これはものすごくラッキーな話なのです。

そもそもね、学校っていうところは閉鎖的なところがあるんですよ。スクールカウンセラーなんて大変ですよ? 一人で一つの市とか区の学校全部を担当しなくちゃいけなかったりしてさあ、しかも、「他人を入れることなんか、嫌」って学校に入り込んでいかないといけないんだから。

私たちアドスタってのも、立場としてはほとんど同じ。まあ、いくつもの学校を掛け持つってことは少ないだろうけど、それでも、入りにくい学校に入っていかないといけないのは同じ。結構つらいもんですよ。ほんと。

まあ、逆に、カウンセラーだ、アドスタだに過剰な期待をして困るケースもあるんでしょうけどね。私たちは医師でもなければ、学校の先生でもない、「ただの人」なんですけど、私たちが行けば奇跡が起きる!みたいに思われちゃって、大変なことになっているところもあるんじゃないんでしょうか。

そりゃ、ごくまれなケースとして、何もかもがうまくいって万事解決ってこともあるかもしれないけど、ほとんどがさっきも言ったように、「2歩進んじゃ、1歩下がる。また2歩進んで、ようやく、プラス1」みたいな感じなわけで、プレッシャーになるくらい期待をかけられてもねえ…。私たちとしてはどうもできません。

ということで、なんだか、みんながんばってました。大変感心。

ちなみに。私の活動は至ってシンプルで、「ふつーに過ごす」ってことを毎週やってます。あえて書くほどのことでもないですな(^^;)

ぐだぐだ喋って、普通なことにけらけら笑って、なんだか終わってみると、一体なんだったんだろう、と思うんですけど、まあ、楽しければそれでいいじゃん、という感じ満載で、毎週お届けしております。

その子に障害があるということは特に意識せず、ていうか、私自身、アドスタであることを忘れて、ただぐだぐだ遊んでます。

というのもね、私が思うに、基本的に私が楽しめなかったら、そこに一緒にいる人、つまり、子供だって楽しくないと思うのですよ。でね、そんな中で、障害だ、アドスタだなんてことは、意味ないことじゃないですか。だから、そんなこと深く考えない。

ていうか、そもそも、私にできることなんて、何もないんですよ。何か言ったって、その子が自分なりに解釈してくれなかったら、何の意味もないでしょう? 私にできることは、一緒にいること。話して、笑うこと。時にシリアスになること。迷うこと。悩むこと。不安になること。それくらい。だから、それを一緒になってする。

それじゃ、ダメなんですかねえ。私は、それで十分だと思って、今までやってきたんですけれど…。

まあ、今年度の活動は残りあと数回しかありません。最後の最後まで、けらけら笑っていようと思います。

ということで、以上、感想終わり。