cafe de psyche

アクセスカウンター症候群(2003年10月)


大学院入試の真っ只中で、なんともまあ、ぼこぼこです。残るは約二週間後にある面接試問。最終にして最大の難関です。難所です。どうでもいいですが、誰か、肩揉んでください(滅茶苦茶こりまくりです(;_;))。

さて、そんな院入試とはまったく関係ない話を少しいたします。書いてる側からしてみれば、一種の気晴らしで書いてみるもんですので、まあ、とりあえずつらつらとお付き合いくださいませ…。

前回のコラムもネットがらみでしたが、今回もそんな話題。ウェブを運営している人の多くがなりやすい「アクセスカウンタ症候群」のお話しでもしてみます。

アクセスカウンタ症候群というのは、もちろん、俗名で、実際にそんな病気があるわけではありません。でもま、あえて言うなら、「自分のウェブサイトのアクセスカウンタの数字をとにかく増やしたい! 増やすためならなんかやるよ! ああやるよ!」みたいな感じで、とにかく、自分のところのアクセスカウンタになんだかいろいろ思ってしまうような状態をいいます。

アクセスカウンタは、カウンタのプログラムが起動された回数を示すものであって、真のアクセス数ではありません。解析なんかやってみれば一発でわかりますが、カウンタの値と実際のアクセス数は大幅に異なるものなのです。それにもし、そのカウンタの値が大きなものだとしても、同じ人が何度も見る、いわゆるリピーターでカウントが上がっているのか、それとも、初めて見た人、つまり、イニシャルビジターの数が多いからカウントが上がっているのかで、その値の持つ意味は全然違ってきます。だから、こういうことがわからないアクセスカウンタのあの数字だけを見て、どうこう言うなんて、本来あまり意味がないことだったりします(カウンタの数なんて意図的に操作することだって可能だし)。

しかし、実際にはそんな小難しいことを吹き飛ばすほど、かなりの意味を持つのがアクセスカウンタだったりもします。

アクセスカウンタというのは増える一方で減ることがありません。しかも、この値は、大きければ大きいほどよい、というのがネットの世界の一つのキーワードです。それは制作者にとってはいくつかのプレッシャーとなるでしょう。

「何とかアクセス数を増やさなければ」

この思いに駆られるウェブマスターは数多くいることでしょう。

しかし、よく考えてみると、何でそんな風に思うのでしょうか? その数字が上がるからといって、特に日常生活に大きな変化が出るわけではありません。とんでもない数のカウントを叩き出すようなサイトであれば何かあるかもしれませんが、でも、ごく一般の、普通の個人がやっている普通のサイトだとしたら、そう、大きく変化はしないでしょう。

ここでまず考えられるのが、数字に潜む一つのトラップです。つまり、「大きい値ほど、なんだかすごいもののようが気がしてしまう」というトラップです。

たとえばドリンク剤とかの「タウリン1000mg」とかいう表記なんかもそれです。これ、日常の単位に直せば、「タウリン1g」でしかありません。まあ、生体のことですから、1グラムもあれば十分に効果ありなんでしょうが、しかし、一般人が聞いて感じる印象として、1グラムじゃなんだか弱くて効かなさそうです。

この場合、値というのは、そのものの評価材料として用いられています。そして、大きい値ほどポジティブな印象と結びつく。これをウェブサイトに置き換えるとしたら、同様の内容のサイトがあったとして、100アクセスのサイトと10000アクセスのサイトなら、なぜか10000アクセスのサイトのほうに傾いてしまう、ということになるでしょうか。

これは物を作る側、制作者の立場で考えてみると、アクセスカウンタの数字が大きいサイトほど高い評価=制作者である本人が高く評価されている、とすり替えられると思いますので、よって、そこで得られる満足感や効力感、達成感といったもののためにアクセス数を上げようと頑張る、と考えることができると思います。

ただ、これだけではなんだか不十分です。というか、なんだか割り切れない感じがします。他にも何かないのか、といわれたら、まだまだ思いつきそうです。

アクセスカウント、というのを別の側面から捉えてみましょう。

まず、これを「人の存在」として見てみます。そう見た場合、このアクセスカウンタに表れる数字は評価とかそういうものではなく、作り手にとって「自分を構ってくれる人がどれだけいるか」という切実な値として解釈できるかもしれません。

実際にコミュニケーションをしているわけではありません。作り手と見ている人との間にはなんにもない。皆無です。

でも、アクセスカウンタがある。ここの数字が上がるということは、作り手にとって見れば、自分が作ったもの、ひいては、自分を、見てくれている、構ってくれている、その結果なんだ、と捉えることは想像に難しくないと思います。

もしそうだとしたら、このカウンタの値は他人が考える以上に、作り手本人にとって重要なものとなることでしょう。そして、他人との関係を何とか保とうとアクセスアップに励む、という形が思いつきます。

また、別の解釈も可能です。なぜそんなに、自分で自分のサイト見たりなんかして、しかも、リロードとかしてまでなんでアクセスアップに力を入れるのか……。

「そう求められているから」

こういう解釈です。裏に隠れた理由は特にありません。つまり、アクセスカウンタの値が高い、ということを、暗黙のうちに誰しもが求めていて、この値は上げなければならないものなんだ、という、少々飛んだ解釈です。

もしそうだとすれば。

自分に言いたいことがあろうがなかろうが、ほんとに見せたいことがあろうががなかろうが、特にこれといってやりたいことがあろうとなかろうと。

その値は上げなければいけない。

こういうことになります。

これはなんだか、ペーパーテストでみんないい点を取ろうと努力している、みたいのに似ています。その裏のほんとに大事な部分がごっそり落っこちて、ただただいい数字だけを稼ぎ出そうとする、そういうスタンス。

たとえば、TOEICなんていう英語の試験がありますが、あれ、対策マニュアルが出ている時点で、既に変です。本当に英語の能力を評価したいというニーズで受けているのかどうか、そこに疑問を持ってしまいます。何でそこまでいいスコアを叩きださないといけないのかな?と思わないのだろうか、と私なんかは思ってしまうのです。

例えば、TOEICスコアで700を叩きだしたとしても、実際の会話じゃまるでダメ、というのでは話になりません。逆に、TOEICスコアが300しか出せなくても、実際に英語圏の人と意思疎通できるなら、それはそれで十分なわけです。これはつまり、数字では測れない部分の差異がでかい意味を持っているということ。

これはもちろん、TOEICがダメだ、という意味ではありません。TOEICは非常によくできたテストです。当たり前です。私たちが大学とかで習っている、心理学で質問紙を作るときとかのテスト理論とか、いろんな分析法とか、そういうものをベースとして作られた、由緒正しきものなのですから。

問題はそれを受ける側。

何でそこまでして高い値を取らなくちゃいけないんだろう。

何でそんなに数字にこだわるんだろう。

これがウェブサイトにもいえると思うのです。ほんとは低いアクセス数でもちゃんと読み手に伝えたいことが届いていればそれでいい。このマインドはフリーペーパーとかミニコミ紙とかにも当てはまりますね。とにかく、中身がちゃんと相手に届いていれれば、それでいい。

しかし、私たちはどうしても数字を求めてしまうのです。サイトを運営されていない方にはわからないかもしれませんが、アクセス数を大きくしたい、というのは、ウェブマスター誰しもが思うことかもしれません。私自身、年中思っていますし、そのためにいろいろやったりしています。

…………。

こう考えてみると、このアクセスカウンタ症候群というのは、意外といろんなことを考えさせてくれる鋭いテーマな気がします。例えば、つい最近の日テレの番組プロデューサーが視聴率操作をやっちゃった話とか(これはまあ、裏に予算だの自分の立場だのといった利益の話もあるけれど)、さっきの何でみんないい点取ろうとするんだとか、いろんなところと絡んでいるような話題な気がします。

この話こういう感じで、特に落ちる点なんかないんですが、でも、少しこういうことを考えながら、自分がやっていることにいろいろ疑問を持ってみるというのもいいような気が、最近、しています。

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