心理学のお勉強

心理学の基本

発達


人は学習したり、いろいろなことを経験することによって、成長します。これを発達といいます。

発達研究の祖、それはスイスの学者、ピアジェです。彼は赤ちゃんから子供までを観察することによって、人は、生まれ持った生得的知識(シェマ)を元に様々なことを行い、もしもその知識が間違っているようなら修正し(同化・調節)、それによって、成長していくのだ、という理論を組み上げました。そして、それにあう発達の段階を考え出したのです。

ピアジェの発達段階
発達段階 年齢 内容
感覚運動期 乳児期 言葉などを使うことは出来ない。あくまで、触ったり、重さを感じることで世界を知る。
前操作期 幼児期 言葉がちょっとわかるようになる。言われたことを頭に浮かべることはできるが、行動には出来ない。イメージ主体で世の中を理解する。論理操作は出来ないので、量の保存などはわからないし、願望と現実をごっちゃにしたり、関係ないもの同士を結びつけたりする。
具体的操作期 小学生〜
中学生
前半
ある程度論理的に考えられるようになる。ただし、具体的に目の前にあるものに限るので、指を使って1+2=3はできるが、頭の中でそれをすることが出来なかったりする。
形式的操作期 青年期 目の前にないものでも論理的に考えられるようになる。過程や抽象的なものも扱えるので、もし〜ならば〜である(if-then-else)が可能となる。

このピアジェの考え方を元に今の発達研究は始まった、と言っても過言ではないでしょう。

ピアジェはこのように行動と発達を結びつけたわけですが、心的成長と発達を結びつけた学者も多数います。

その一人がボウルビーで、この考えによれば、出生後に赤ちゃんは「大事な人」(=保護者など。一般的には母親)との間に、愛着(アタッチメント)の関係を形成することが、後の心理的発達に重大な影響を及ぼす、と述べています。

この愛着を示す一つの行動が「人見知り」といえるでしょう。母親以外の他人を区別する、というこの行為は、後にエインズワースの手によって「ストレンジ・シチュエーション」という実験法になり、後の研究に大きな影響を与えています。

ただ、この愛着理論がマイナスに働いた向きもあります。ボウルビーが愛着理論を述べたとき、それは3歳までに完成されるべきものだ、と言ったため、それが後に「3歳児神話」というあまりよくないものをもたらしたのです。もちろん、この神話は心理学的にはまったく意味がありません。

このように愛着という考えが入ったことにより、発達はより心理学的なものになったといえます。また、かの有名な精神科医、フロイトも、自身の「精神分析的人格理論(別の回で説明します)」にのっとって、彼なりの発達段階を作り上げています

フロイトの発達段階
発達段階 年齢 内容
口唇期 乳児期 なんでも口に持っていく時期。うまくこの時期を終えないと、甘えるようになる。
肛門期 幼児期 トイレットトレーニングができるようになることで、自分の意思でコントロールができることを得る。うまくいかないと、消極・内向的に、またがんばりすぎるタイプは、ケチになる、という。
男根期 幼稚園
時代
男女とも、男性器に対して関心を持ち、また、異性の親を自分のものにしたい、と思う。男の子の場合、父親を亡き者にして母親を手に入れたいと思うエディプスコンプレックス、女の子の場合、母親を亡き者にして父親を手に入れたいと思うエレクトラコンプレックスを起こす。これらは現実にすることは出来ないため、同姓親の価値観、道徳観などを手に入れ、親を超えようとすることで、これを達成する。また、このことは抑圧され、忘れようとするため、後に思い出す事は容易ではない。この時期をうまく終えないと、自我(ego)、超自我(super ego)の発達に問題を起こし、思春期以後、さまざまなトラブルを引き起こす。
潜在期 小学校
時代
心理的には変化がなく、比較的安定。第2次性徴が始まるまでの間の時期で、性衝動(リビドー)はあまりなく、異性に対しての関心も薄い。
性器期 思春期 性に対する本能が復活し、異性に対しての関心も高くなる。リビドーも内からこみ上げるようになり、そのコントロールの際、今までに得た超自我の強さが問われる。自我や超自我が弱い場合、心的な活動の源であるイド(id)に屈することになる。

フロイトのこの考えは心理的な問題をそれまでの過去と結びつけようとしたものです。しかしその性質上、この考えには批判が多数出て(特に社会環境の影響をまったく考えてない点)、その中でも、フロイトの娘の精神科医アンナ・フロイトの弟子であったエリクソン(ちなみに本名ではない。本名は、エリック・ホンブルガー。彼がアメリカに渡ったとき、ホンブルガーを英語で書くとハンバーガーになってしまうことを嫌って、エリック(eric)の息子(son)、という名前を自分で付けた)にいたっては、社会環境の影響を考慮した新たな発達段階を考え出すにまでいたります。これが世に言う、自我同一性、つまり、アイデンティティの登場です。

エリクソンの発達段階
発達段階 年齢 内容
乳児期 基本的信頼

基本的不信
保護者など、自分を世話してくれる人との間で、不安にさいなまれることなく自分が愛されているんだ、という実感を得る時期。そのために、スキンシップが重要となる。これに失敗すると、自分で自分を愛せないことになり、後の発達に大きな影響を与える。
幼児期前半 自律 対 恥・疑惑 自分の意思でコントロールすることを覚える。心的な自信が芽生える。これに失敗すると、自分に対して確信が持てず、不信を持つようになる。
幼児期後半 自発性 対 罪悪感 自分で考えて自分で行動することを覚える。好奇心などからいたずらをしたりもする。なので、大人は行動ではなく、その動機を大事にするべきである。これに失敗すると、やるのはいけないことだ、と罪悪を感じるようになる。
小学生時代 勤勉性 対 劣等感 やればできる、ということを経験し、がんばることを覚える時期。なので、大人はがんばった、ということを大事にすべきである。これに失敗すると、何をやったってダメ、と劣等を感じるようになる。
思春期〜
青年期
自我同一性獲得

自我同一性拡散
私は誰?(Who am I?)という質問に対して、自分は自分である、ということに気づく時期。第2次性徴がきっかけとなる。普通、男の子はポジティブに、女の子はネガティブにとる傾向がある。正確な自己像を発見することによって、自分はこうなりたい、こうである、という自我同一性(アイデンティティ)を獲得する。また、やりたいこと、そのすべてをやることは出来ない、という全能感の否定も起こる。ここで獲得したアイデンティティはその後も随時修正されるため、自我同一性の獲得、そしてその維持は、生涯の課題である。なお、この時期は社会的なさまざまな義務からまだ逃れることができる時期のため、猶予期間(モラトリアム)とも呼ばれる。これに失敗すると、将来に関する展望が開けない等、自我同一性の拡散が起き、問題となる。
成人前期 親密性 対 孤独 特定の1人と親密に付き合うようになる。それは、異性、同性を問わない。その時、付き合うもの同士、自我同一性を獲得していなければならない。相手を尊重しあうことを覚える時期でもあるので、相手が自分に合わせてくれないからといって、相手の同一性を消し去ろうとしてはならない。相手の存在そのものを愛する時期である。これに失敗すると、特定の1人と付き合うことによって、自分をなくすのではないかと不安を覚え、その場から逃げるようになるため、孤独が起きる。
中年期 生殖性 対 停滞 他者が育つことを助けることができるようになる。それは、自分の子供のみに限らず、部下、後輩などや社会的なものに及ぶ。これに失敗すると、自分のためだけに力を使うようになるため、停滞が起きる。
老年期 統合 対 絶望 自分の今までの人生を、どんなことがあったとしてもこれでよかった、これしかなかった、と思えるようになる。社会的に成功を収めたからといって、この統合ができるとは限らないし、また、過去に問題があったからといって、統合が出来ないというものでもない。これに失敗すると、このままでは死ねない、と死ぬことに恐怖を感じ、また絶望する。

この表の発達課題の左側が、この時期に達成すべきことで人格の構成要素となるもの、右側が達成しないときに起こることを表しています。エリクソンはそれまでの発達の考え方とは異なり、この課題がもしその時期に達成されなかったとしても、大変ではあるがあとで達成することは可能である、と述べています。そして、このような発達段階は人格や心理臨床を考える場合、必ずしもそのままの形ではありませんがよく用いられます

というわけで、これらさまざまな時代を経て今の発達研究にいたっているわけですが、実は今の発達心理学分野は、必ずしもこれらを扱っているわけではありません。

たとえば、ピアジェの考え方も、現代ではある種の誤りが存在することがわかっていて、赤ちゃんはもっともっと有能であることが実験的にわかってきました。

また、発達は一生涯にわたるという「生涯発達心理学(Life-span development psychology. spanは、親指と小指の間の幅。エリクソンの考え方もそのひとつといえる)」もありますし、刷り込み(インプリンティング)に代表される学習から見る発達というのもあります。

発達の考えはさまざまな進歩により、目覚しく変わりつつあります。何しろ、ピアジェが最初に考えを言い出してから、まだ60年くらいしかたっていないのに、数多くの新たな考えが出されているのです。これからも目が離せない分野、といえるでしょう。