心理学のお勉強

カウンセリング

カウンセリングとは。


「カウンセリング counseling」という言葉はまだ歴史が浅く、生まれて40年程度です。日本で世間に広まってからだと、たったの20年くらいしかありません。しかし、今この時代はカウンセリング花盛りとなってまいりました。

カウンセリングは、プロの聞き手に自分を語ることによって、症状がなくなったり、自分を受け入れられるようになるのが第一の目的です。そしてその上で、次のステップに進めるようになることが大きな目標となります。

語るだけなら友人や親でもいいじゃん、という意見もあるでしょう。でも、「プロの聞き手」に語るというところがとても重要。

なぜって、よく考えると、一人で悩んじゃうことって、そういう近しい人たちには話せないことがほとんどなんですよね。だから、他人だけど気軽にいろんなことが喋れる、そんな存在がいるわけで、それがカウンセラーとなりえるわけです。

しかも、そうやって話に来る人のほとんどは、アドバイスじゃ立ち直れません。それでいいなら、来ていないと思います。つまり、カウンセリングにはそういうものとは違うものが求められる、ということがいえるでしょう。

逆に言えば、カウンセラーの人生観とか経験とか知識を単にぶつけても、どうにもならないのが普通で、どっちかって言えば、いいたいことをすっきり話させて、自分で何とかする、カウンセラーはその横にいる、という感じが近いです。

だから、カウンセリングの基本は「話をよーく聞くこと」です。訓練とか勉強は、その話の聞き方がほとんどと言ってもいい。そしてカウンセリングを受ける人、つまり「クライアント client」は「自分でよくなる」のです。この視点は決して間違えてはいけません。

もし、なんかしてやるもんなんだとか、そういう風に思っていたら、考えを改めましょう。カウンセリングは、クライアントが持つ自然治癒力、それを信じて行われるものなのです。

また、カウンセラーにはプロとかアマチュアとか、そういう区分がありえません。それは人に関わる仕事だからです。お金をもらうかどうかに関わらず、人の話を聞くカウンセリングでは、いろんな責任や義務が伴ってきます。

たとえば、すべての臨床心理士が所属する会(臨床心理士会)では、仕事を行う際、臨床心理士に「倫理規定」を守るように求めています。これはたとえば、インフォームドコンセントとか、守秘義務なんてものがそう。守らないと臨床心理士、というその資格が剥奪される可能性すらあります。

カウンセリングはそのくらいのことをしているんだ、という意識をまず持ってください。

さて、ちょっと具体的な話しに入っていきましょう。

まだまだ浸透していないとはいえ、最近では病院や学校、会社などいろんな場面でカウセリングが行われています。

例えば病院では、小児科領域やターミナルケア(終末期医療)の領域で広まり始めています。対象に子供が入ってくるのは、子供の数が最近減ってきて、それに伴って、ニーズが増えてきたから。普通は医師との密接な関係の中で行われます。

また、教育機関の中に、という例としては、大学の中にカウンセリングルームがある場合があります。その大学の学生や地域の人が受けたりするわけですが、この場合、もともとそのカウンセリングルーム自体が、院生の「スーパービジョン super vision」を行う目的として作られているので、ちょっと注意が必要です。

あと、学校のスクールカウンセラーというのも最近では話題です。えてして精神科医とか、大学の心理学の教官、臨床心理士が学校に派遣されて、、生徒だけでなく、その親や教員などもひっくるめてメンタルヘルスを考えることがほとんどです。

さて、このような普通に行われているカウンセリングの多くは、予想に反して、単純な「1対1関係」ではありません。

例えば、病院であれば、1つのチーム医療の中にカウセリングが組み込まれてきますし、学校の場合では、教員や親、さらに広く地域などが絡んでくることだってあります。

もちろん、カウンセリングの基本は「カウンセラー対クライアント」という1対1なのですが、それを取り巻くものがある、という視点が必要です。

また、カウンセリングで用いられる技法もさまざまなものがあり、大雑把に分けるとしても、「無意識を扱う」、「無意識をあまり考えない」、「意識、無意識という概念そのものをはずして症状を取ることを目的とする」という点で、3つに分かれてきます。

ちなみに、一番最初のは精神分析とかユング派、2番目はPCA(Person Centered Approach)、つまり、ロジャースのクライアント中心療法、3番目は認知行動療法なんかですね。

これらのどれを使うは基本的にクライアントによります。ですから、一人一人違う手法になりえますし、それぞれ混ざり合うことも考えられます。

なお、厳密に言えば、カウンセリングと「心理療法 psycho-therapy」(精神科医がいう場合は、精神療法)は異なるものです。カウンセリングは比較的浅い話題を取り上げるのに対し、心理療法ではより深いレベルにアプローチするといったニュアンスがあるためで、そう使い分けるケースもないとはいえません。ただ、最近ではほとんど接近していて違いがわからない、ということもあって、分けないことがよくあります。この辺は少し注意したいところです。

さてこれらカウンセリング技法は、もともとかなり長い歴史の中で作られてきました。ちょっとだけ、歴史を振り返ってみましょう(他のタームでやりそうにないので)。

今あるいろんな技法は、もともとは「おまじない」とか「懺悔」のような形で「語る」ということがあって、それに科学的な味付けが加えられて生まれてきた、と考えられています。

理論的に最も古い技法は、「メスマーの動物磁気説」(体内に宇宙を満たす磁気を帯びた液体が流れていて、そのバランスが崩れると病気になるというもの)でしょう。ちなみに、これは今から言えば強い暗示作用を持つ催眠の一種です。

で、その「催眠 hypnosis」はというと、ブレイドという学者から始まり、19世紀に入ってヒステリー(今の神経症)患者を対象として理論を確立していきます。フロイトの師匠であるサルペトリエール学派のシャルコーとか、その対立学派、ナンシー学派のベルネームなんかがその代表。この2つの学派は催眠を異常と取るか、誰でもなりえるものなのかで言い争いを起こしています。ちなみに、最終的に後者の主義を取ったナンシー学派が勝利したことは、どこかで勉強してください(おざなりですいません)。

で、この催眠はさらに「精神分裂病 schizophrenia」(統合失調症ではニュアンスが変わるのであえてこの名前で)の命名者ブロイアーによって、「催眠浄化法 hypno catharsis」になります。

ちなみに、このきっかけは、21歳の女性ヒステリー患者「アンナ・O」で、自身が語る中で見つけた「談話療法 talking cure」を、ブロイアーが発展させて、人工的に作った催眠状態の中で過去の外傷体験(trauma)を思い出させる、ということをはじめたのがきっかけです。カタルシス(心の支えが取れるの意)、とついていますし、この「アンナ・O」の話はフロイトにも大きな影響を与えました。

そのフロイトはというと、シャルコー→ベルネーム(さっきの2人です)と流れて、「後催眠暗示」(催眠下である行動をするように暗示をかけると、覚めた後にその行動が実行される現象。テレビでやってるやつ)を見て、びっくりするという経験をしています。

実はこれが「無意識」の発見につながり、そこで一度、催眠浄化法をやって、それに限界を感じて、自分で前額法というのを作って、そしたら、患者(エリザベート嬢)から「考えてるのに邪魔しないで」といわれて、がっくりして、そして、精神分析療法の基本的な技法、「自由連想法 free association」を生み出します(超大雑把)。

これが後に「力動的精神医学 dynamic psychiatry」というものになって、たとえば「抑圧 repression」だの、「葛藤 conflict」だの、治療中に起きる無意識な反抗、つまり「抵抗 resistance」とか、まあ、ひとくくりにしてしまえば、「防衛機制 defence mechanism」ですが、そういうのとか、幼児期のことが考えられるようになっていくのです。

このフロイト以降はまさに発展期。カレン・ホーナイのような「neo-Freudian」な人たちとか、フロイトの愛娘アンナ・フロイトによる自我心理学、メラニー・クラインの対象関係論、これらが精神分析学の中で対立して衝突して、また、フロイトの愛弟子だったユングは飛び出した上に「深層心理学」を開き、同じくアドラーは「個人心理学」を開き、フロイトを批判する形でロジャースは「クライアント中心療法」を開き、さらに、今度は心理学からの「認知行動療法」が生まれるわけです。

この間、長く見積もって200年。カウンセリングというのは、言葉自体の歴史は浅いですが、そのようなバックグラウンドの上に成り立っているわけで、そういうこともちゃんと理解したほうがいいでしょう。

ということで、本来ならやったほうが早い「カウセリング」を、このシリーズでは言葉で語っていこうと思います。

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