cafe de psyche

アースクェーク(2004年10月)


これを書いておりますのは2004年10月24日1時19分。ちょうど今から7時間くらい前に、新潟のほうで大きな「地震 earthquake」がありまして、機械で測れる最大の震度、震度6強を観測して(地震の最大震度は「7」になってますが、あれは大きな地震があった後、専門家の判断によって決められるものであって、機械的には「6強」までなのです)、被害も結構出ているようであります。

何で地震の話?、専攻はなんなんだ、ここは心理学のサイトじゃないのか、などなど、いろいろ思うところありますが、科学全般に関して、専門的に、ちとうるさいサイエンスラヴァーなのです、私。だから、さっき[Hi-netの特集ページ](研究者でもなければ、意味はまったく読み取れないだろう)でいろいろ調べてたりしました。[振幅アニメーション]を見ると、地震の広がり具合が怖いくらいによくわかります。

しかし、1500galって、結構でかい値をたたき出しました。ちなみに、「ガル gal」は加速度の単位で、1galは毎秒1センチの割合で増す加速度(つまり、cm/s2)の意。あの「ガリレオ・ガリレイ Galileo Galilei」(物理で習う「落体の法則」ってやつですな)からこの名前は来ています。わかりやすく「重力加速度 gravitational acceleration」で言うと、1G=9.8m/s2ですから、それを100倍した(ミリをセンチにする)980gal=1Gということになりますね。

前述の1500galは、重力加速度の2倍まではいかないけれども、静止物体をたった1秒で「時速54km」という速度に引き上げるほどの加速度であるってことです(1500*60*60=5,400,000=54km/h2)。いや、想像が付きません。ちなみに、ここまでパワーがあっても、あまり建物がめちゃめちゃになったりしなかったのは、建物が持つ「周期 cycle」と、地震の持つ周期の関係などによると思われます(高校の「物理」の時間を思い出せ! 建物が持つ固有周期と地震の周期が「共振 resonance」をすると、大変なことが起こるのです)。

さて。そんな科学的な話はここではおいておいて、地震にまつわる事をあれこれ書いてみたいと思います。

まず。大きな地震が起きた後って、皆さんどんな状態になるか、知ってますか?

ドラマや映画だと、「人々はわめき、叫び、泣き、パニック」といった様子です。

でも、実際はそんな状態ではありません。

発生直後の実際の状態は、「無」です。周りに誰かがいるならともかく、基本的には、たいした音すらなくって、なんていうか、「しん」という感じ。周りはぐっちゃぐっちゃ。現実感なし。無の状態に入り込んでしまう。それが本当の姿です。

こういうとき、横に人がいるとか、家族がいると、状態は動き出しますが、ひとりきりだった場合、事態は静止したままになってしまうことがあります。精神的にいえば、認識は出来ても、思考・行動が出来ない、下手したら、現実の事態の認識すら危うい状態。

その時、それを一気に現実に引き戻すのが、実は、ラジオやテレビといったメディアだったりします。あなたの耳元で喋る人がいる。その事態が現実を正しく認識させ、思考や行動へとつなげるということを果たす。実際、阪神大震災(「兵庫県南部地震 Southern Hyogo Earthquake」)の被災者の方のお話を聞くと、ラジオから流れる声を聞いて、「あっ! 生きなければ」と思った方も多くいらっしゃったようです。

今回の地震でも、地元テレビ局の女性アナウンサーが言った一言が、私には結構耳に残ってますね。

「お母さん、泣いているお子さんをまずは抱いてあげてください」

文字にしてしまうと何てことない一言ですが、すこっと抜けてしまっているときとか、ぐちゃぐちゃと頭の中がなっちゃっているときとかには、とても響く一言だと思います。多分、どこどこでこんな被害状況です、という客観的な情報より、頭の中に残るんじゃないでしょうか。

(というか、女性だからこそ気が付く、とても細かやな一言だと思います。もし、男性アナウンサーだったとしたら、こんなこと、アドリブで出てこない気がします…)

ラジオ、テレビというと、とかく、情報を手に入れるものと思っている方も多いと思います。でも、実際はそれだけじゃない。テレビもラジオも、コミュニケーションメディア。特にラジオはリスナーとの関係性の中で番組が成り立っているものが多いし、生放送というメソッドを用いているから、リアルタイム性がある。そういう側面がこういうときに効いたりする。これは心理学的にも、情報学的にも注意すべきことだと思います。

そして、さっきも言ったように、地震が起きた直後は「無」なわけですが、その後、情報はえてして爆発することが多いです。

今回の地震でも、東京でテレビを見ていると、

1)速報で流れる。大きな扱いではまだない。
2)発生後30分。大まかな情報が集まってきて、事態が次第に明らかになる。
3)発生後1時間。だんだん現地の詳細が明らかになる。
4)発生後2時間。詳細情報が急激に増える。
5)発生後3時間。様々な分野の多岐に渡る詳細情報が大量に提供されるようになる。

こんな感じだったように思います。時間軸を沿って、情報が爆発するのがよくわかります。

実はここで問題なのが、即時的な環境下での情報の爆発です。数日とか1週間という時間をかけて情報が増えていくならともかく、情報が数分、数時間単位で急激に集まると、「パイルアップ pileup」 (「積み重なる」とか「玉突き衝突」とか、そんな意味。ここでは無線用語としての「CQ(これまた専門用語だな。「各局応答せよ」の意。I seek you.ですね)出したら相手が殺到しちゃって手に負えなくなった」状態を指す)から「根拠 ground」「ない less」「噂 rumor」つまり、「デマ groundless rumor」の出現につながりかねないのです。そして、そのデマは「パニック panic」につながりかねない。

デマの発生メカニズムなどは社会心理学的に研究されていたりします。そこでひとつ言えることは、情報を正確に提示するだけでは必ずしもデマの発生は防げないということ。人は話を伝えるとき、圧縮し、加工し、脚色したりするものです。それが無意識の行為、悪意のない行為であったとしても、それが繰り返されると、話が膨らんだりして、デマという形になりかねなかったりします。子供の頃にやった伝言ゲームを思い浮かべれば、それはわかるでしょう。また、発言した人が持つ「権力 power」も重要な問題になりえます。

ということで、情報を受ける側には、情報を使いこなし、理解する能力、専門用語で言えば「メディア・リテラシー media literacy」が必要である、ということが指摘できるでしょう。

で、ここからはメディア論とか、情報学の話題。

防災訓練って、あるじゃないですか。私が小学生のとき(10年前だ)、防災頭巾とか被らされましたけど、あれって、「行動」の訓練としてはいいけど、「情報」の訓練には一切なってないと思うんですが、どうなんでしょう?

例えば、地震が起きたとしますね。ルーティン的には、まず、机の下に潜り込みます。そして、「押さない、駆けない、喋らない」で廊下を進んで、校庭に集合する。これ、オペラント条件付けの手法で体に叩き込まれているわけですが、これで本当にいいんだろうか。

本来の地震、火災ではまず、行動を起こすための「情報」を頭にインプットするところから考えないといけません。例えば、地震を乗り切ってから行動を開始する、とする。小規模の地震ならそれでも問題ないでしょう。でも、大規模な地震の場合、1度目の地震を乗り切って、校庭へと移動を始めた、その時に廊下で大きな余震を受ける可能性が十分にあります。階段を移動中、なんて場合は、大変なことになりかねません。

つまり、その時々によって異なる適切な情報を収集し、それを解釈することによって、行動を柔軟なものに設定する必要があるのです。

そういうことで考えると、もしも私が校長先生だとしたら、まずは、先生方にトランシーバーを持ってもらう事から始めると思います。それで、何かあったときに情報交換できる体制を作り上げます。例えば、3年2組、みんな無事!とか、無線で伝える。それを全員で共有できる体制を作るのです。それらを十分踏まえたうえで、行動を開始する。そう、これはサバイバルゲームなのです。ですから、リアルタイムに変化する情報を抜きにした行動というのは、はっきりいって、あまり意味を成さないのではないでしょうか。

これは、地震が起きた後の被災生活についても言えます。防災訓練って、そこまでの長いスパンは考慮されていないですが、情報はそこまでちゃんと考えないといけない。阪神大震災のとき、地震の後、避難先の公会堂などによっては「何日に給水車が来ます」「何日には何とかがあります」「何とかさん、連絡あり」なんて事を書いた「かわら版」とか「フリーペーパー」みたいなのが、「自発的に」作られていました。そのことの持つ意味を考える必要がある。

情報っていうのでいくと、電話の使い方も考えたいですね。地震が起きると、電話とか、いまだにパンクしがちです。あれだけ、テレビで「やめといてね」って言っても、ダメ。今回の地震でも、携帯かけている人、テレビでいっぱい見ました。そしてこれ、とりあえず話したい、情報が伝わるまでに時間がある程度かかるから不安だ、そんなこんなの心理的な要因があるため、致し方ない部分があるわけです。

問題はそれと「行動」との関係です。何がどうであれ、電話はかけたいのです。だから、ただただ「電話をかけるな!」とひたすら言っても、それは、その上に乗っかる情報を無視した、単なる行動の制限で、あまり効果が出ないと思われます。

ここでひとつ実例を出しましょう。阪神大震災の際、NIFTY-SERVE(ニフティサーブ)のようなパソコン通信やネット上の掲示板に注目が集まり、また、それらが大活躍したことは、少しネットの歴史とか、コンピュータに詳しい人ならみんな知ってることだと思います。でもこれ、当時は結構もめた。消防とかそういうところにかけるのとは違う目的で、電話ってもんを使うって、いかがなもんよ?と。

ここで当時主流だったパソコン通信のスタイルを思い出してみましょう。ていうか、そんな難しくなくて、アクセスポイントにモデムでダイアルアップというスタイルですね。こいつ、当たり前のごとく、電話回線の状態やアクセスポイントの状況に依存します。

ここでギャップが生まれる。パソコン通信で被災地情報などを送っていた人は、このメリットを十分に生かしておりました。そもそも、パソコン通信の場合、前もって読みたいものを決めておいたり、メールだの書き込みだの書きたいものは書いておいた上で接続して、「自動巡回 auto pilot」するって事が可能だったから、1分くらいでやりたいことはみんな出来ちゃった。その上で、現地でみんなからリサーチして、足りないものとか、送ってほしいものを頼み、それを全国のみんなで手分けして何とかするとか、平気であったのでした。ひとつの災害時のコミュニケーションシステムとして成り立っていたわけですね。

でも、周りはそうは思わないわけです。なんだよ、ただでさえ少ない、せっかく使えるようになった電話をパソコンかよ!なわけです。そんなことに使うなよ、大事なことに使えよ、と。で、このときは結局、話し合ったりなんだりして、解決したんじゃなかったか、と思います。

これ、さっきの電話のパンク問題にも言える。消防に電話するのはもちろん大事なことなのですが、それと同じくらい、普通に連絡するのも大事なことなのです。どちらも情報であることには変わらないんだから。

だけど、パソコン通信と違って、普通に電話をかけるわけにはいかないのが問題です。ということで、もっともっと「災害用伝号ダイヤル『171』がありますよ」ってことがアナウンスされるべきだと思います。しかし、この「レイテンシーあるけど音声交換できます」っていう、でっかい留守番電話サービスセンターみたいなもんをちゃんと使える人はどれだけいるでしょうか。もっとシステムとか、簡単にすべきでは、と思ったりします。

おっと。えらい長いこと書いてしまいましたが、つまり、総合的に考えて、こういうときのためにも情報を使いこなす能力ってもんが必要なのであります。

そして、地震の話。正直、日本にいる限り、こいつとは絶対に付き合わなければなりません。日本の建物が何で丈夫なのか、ヨーロッパにはいっぱいある古い建物が日本にはなぜないのか、そういうことを考えると、大体は気象と地震の問題に帰着するくらいです。

いつかは大きな地震が起きるわけですから、その「気」を持っている必要はあるでしょう。それは決して、いつ起きるのだろうという「不安」ではいけません。いつか起きる、だから、大丈夫、そういう心積もりが必要なのです。今回のことは、決して、他人事ではないのです。直接は関係なかったとしても、流してはいけないものだと思います。