cafe de psyche

夏のコラム2本立て(2003年8月)


2003年もお盆休みがそろそろ終わる感じで、もう一波越えた感じでありますが、大学はまだまだ休みだし、とりあえず、まだ夏は続いております。ということで、今月はコラムスペシャル。

ウェブカウンセリング


最近、ウェブサイトを使ったカウンセリングというのが登場したようです。私自身は、まあ、そういうことも可能だろうなあ、メールカウンセリングってのもあるしなあ、くらいしか思ってなかったんですが、世はそんなところではなくて、「ココロノマド」(川西由美子・著/朝日新聞社)なんていう本まで出るくらい、世の中はそういうモードのよう。

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ウェブカウンセリングは、ようはカウンセラーとクライアントの2人だけが使える空間をウェブで提供して(掲示板とか、チャットとか)、その中で心理臨床的なアプローチをしていこうという取り組み。ボランティアとしてやる、ということも可能でしょうが、すでにビジネスとしてこれに取り組んでいるところもあるようです。

確かに、ネットは現実より現実らしくなる、という特徴がありますから、このようなカウンセリングにはもってこいだと思います。私自身、ネットを使った心理臨床には興味があるし、関心もあるし、可能性もあると思う。

「アノニマス Anonymous」(渋井哲也・著/情報センター出版局)という本では、ネットで自分をさらけ出したり、自己表現(後で触れます。アサーションってやつ)することで、もがき苦しみながらも生き続けている人たちを描き出していましたが、言ってみれば、ウェブカウンセリングは、それをもっと理論的に、体系的に、よりらしくやろう、というひとつの動きかもしれません。だから、こういうのが出てくるのも当然だといえるでしょう。

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でも、やはり、メールカウンセリング同様、これからの分野。もっともっといろんなベースを積んでいかないといけないような気がします。

アサーション


最近、表現しろ!とか、表現できなきゃ!なんていう風に、表現に関することがよく言われます。本屋さんに行くとそういう本、山ほど積んでありますし、ネットの世界も表現の場としてめちゃくちゃ使われています。これってつまり、さっき触れた「アサーション assertion」のニーズが高まってきたということなのでしょう。

まあ、個性を尊重して!とか言う言葉が昔から言われていましたから、その流れの中で、表現する、というのが出てくるのは不自然ではありません。どちらかといえば、自然なことといえるかもしれない。

実際、アサーションの効果は大きなものがあります。自分のあれこれを自分なりに表現することができる、それだけで人間は大きな力をもつものなのです。さっき「アノニマス」という本を触れたときにもそんなこと書きましたし、「ネットに思うこと。」というコラムでもそんなこと書いたけれど、表現をすることで元気になれたり、がんばれたりするようになるわけです。だから、心理臨床の世界ではアサーション・トレーニングというものがちゃんとある。表現をする、というのはとても大事なことなのです。

ただ、ひとつ注意したい……。

じゃ、闇雲になんでもかんでも表現すれば、それでいいのでしょうか?
表現しなくちゃ!とか、逆に、表現しろ!っていう、そういう世界でいいのでしょうか?

これはもちろん、当たり前のごとく、ダメです。自分の表現したいことを、そのまま、自分の形で表現する。それが、アサーションですから、やらされたり、不本意でするようでは、全然ダメ。

でもこれって、意外に難しいと思うんですよ。そんなの当たり前じゃないか、簡単だろうが、と思うかもしれないけれど、でも、実際のところはそう簡単にはいかないものです。

たとえば、最初はアサーティブなマインドで日記とかコラムを立ち上げたとする。
だんだん読む人が増えてきた。
そうなるとどうなる。
「あ〜あ、読む人がいるんだから、きょうも書かなきゃ」「コラム書かなきゃ」ってなったりしかねないのです。

これはある意味、自分で自分を強迫している感じ。別に書いたことで利益になるわけではないし、アサーティブかどうかすらわからない。どちらかといえば、サービス精神というやつです。

これに耐えられる人であれば別に問題ないだろうけど、つらいと感じてしまうようなら、いくら人が読んでいようが自分でその幕を閉じるという、その選択をしたほうがいいと思います。

人はこういうとき、えてして、他人のことを考えて、まあ、なんとか続けてみっか、とか、なりがちです。でも、そうやって続けると、アサーションじゃなくて、表現が目的になっちゃって、あれこれ変な方向に行っちゃうことがある。

表現はあくまで手段。大事なのは、なぜその表現をしなくちゃいけないのかという動機と、何を伝えるのかという内容。だから、表現をしない、という選択肢も十分に残される。

それを忘れないでいたいところです。特に、表現者は常に肝に銘じておきたい。それは自分が自分であるために大事なことですからね。無理してまでアサーションすることはないのです。

アサーションはこれからの時代、必須のテクニックになるでしょう。だからこそ、表現しないということも考えたいと、私は思います。